岩手県釜石市へ
4月に入り、被災地であり故郷の釜石に行きました。
途中の東北道では、ガソリン売り切れ、3000円販売等ありましたが無事に釜石入りを果たしました。
新仙人道路を降りて釜石駅までは被災地であるのが嘘のように普通の町並みが。
駅の先は風景が一変します。
子供の頃によくお菓子を買ったお菓子屋さん。
商店街のアーケードも瓦礫でいっぱい。
青葉通り
NSオカムラの工場の屋根を越えてきた乗用車がひっくり返っていました。
自宅が見えてきました。
自衛隊によって道路の瓦礫は横に寄せられています。
その瓦礫によって表からは入れなくなっていました。
裏に回ると、本来はビルにつながって木造二階建ての住居がありましたが、
津波によりきれいサッパリとなくなっておりました。
裏の瓦礫をどけて、室内に侵入。
コンクリートの階段はしっかりと残っておりました。
2階から店舗内を見ると、鍋が散乱しています。
そう、実家は金物屋なんです。
3階に上がってみると、3階までは水が来ていませんでした。
でも、引き出し・押入れが開けられいかにも物色された跡が・・・!
さっそく写真と位牌を回収いたしました。
津波の時、隣のマンションの2階部分は水が入ったみたいです。
私の家の3階とは高さが少ししか変わらなかったのでギリギリ・・・
家の裏を窓から見ると、ほとんどの家は流されてしまっています。
築50年の実家は津波に流されずもちこたえたのですが・・・
実家を離れたのが昭和の時代。
今でも、あの青いドアを開けると古きよき時代に戻れそうな気がします・・・
この瓦礫を片付けるのは、どのくらいの期間がいるのでしょうか?
この下にまだ行方不明の方も・・・
どこからか流れてきた本。
こちらも被災者・・・
早く平穏な毎日がおくれますように。
今回、被災された皆さんに持ってきた物資を全て渡して、お墓がどうなっているか見に行きました。
地震で墓石が海の方を向いており、動かそうと試みましたが重過ぎてムリでした。
先週、車で逃げようとして波にのみこまれ、津波から生還をはたした女性が
テレビのニュースに出ていましたが、同級生の真智子さんでした。
本当によかった!
同級生の野舘栄一郎さんは両親とともに津波にのまれ3/18に火葬がとり行われたそうです。
同じく吹奏楽部の盛合久美子(現、野上久美子)さんは、ご主人とともにご遺体にて身元確認がされました。
ご冥福をお祈りいたします。
まだまだ安否不明な同級生・知り合いがたくさんおります。
皆さんがはやく見つかりますように。
岩手をあとにする車のなかで聴いた歌・・・
約30年前、東京に行く電車で何度も聴いた歌でもある。
今、再び釜石を出るこの瞬間に聴くことに。
太田裕美 1979年の作品
「青空の翳り」
哀しみをさりげなく笑いばなしに 出来る人は素敵ね
歓びもおだやかに 飾り立てずに 話す人は素敵ね
私も心残り吹き消して 過去にはやさしく手を振るわ
あなたにこだわらず生きてゆく 余裕が生まれて来たけれど
春から夏へ移りゆく 空はさわやかすぎて
かえって辛い季節だわ あなたへの想い
私の心のすみずみまで 広がったまま
被災地への支援は続けていきます。
そして再び釜石へ足を踏み入れたいと思う。
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